少年冤罪事件 発端

この少年冤罪事件のことがせと氏のブログに出ていました。詳しいことは少年冤罪事件をみていだだくとして頭の中を整理するために書いてみます。裁判結果を先に見たい方はこちらです。

暇なときに書いているので少々時間がかかるかもしれませんが最後まで書いてみようと思います。なるべく先入観を与えないような文章にしたいのでお気づきの点があれば指摘してください。
さて今回は発端ともいえる部分。

発端

  • 1995年7月16日(平成7年)AM 3:00 暴行事件発生?
  • 1995年9月1日朝木明代市議が自殺
  • 1995年9月21日PM 10:00ごろ
    • 少年は5、6人友人と東村山駅東口にある居酒屋「おしどり」に行った。自殺からから20日後のこと
  • パトカーに乗せられ、東村山署に行く
    • 「店のドアのそばにいた人物は矢野穂積という東村山市議会議員で、1995年7月16日(平成7年)AM 3:00ごろ、あなたから暴行を受けたと訴えている」
    • 少年は「身に覚えがありません」と応える
      • 二ヶ月の前のことを覚えているわけもなくアリバイを証明できなかった。
    • 警察は1時間足らずで事情聴取を終了
    • 東村山署の玄関前に矢野市議がいるのを刑事が発見
    • 裏口から帰す。*1
  • 東村山署が行った実況検分や聞き込みの中から、少年が事件に関与しているという裏付けは出てきていなかった。
  • 矢野市議からさらに詳しい事情を聴こうとしたが、「多忙」を理由になかなか事情聴取に応じなかった。

それまでの捜査結果それと矢野市議が捜査に非協力的なこと、もしかして冤罪の可能性あると判断したため立件せず。
リンク先を見た方はわかるとは思いますが少年は当時17歳だったわけです。「17歳で居酒屋???不良少年*2ですね。」とか言う人もいるとは思うのですが、そこは先入観にとらわれずに矢野市議についてあなたが持っている知識も含めてまっさらな気持ちで考えてみてほしいです。

たぶんこれは矢野市議が「創価学会に襲われた」としたかった事件だったみたいですね。といいつつ先入観を与えてしまうw
もちろん続きます。

*1:この時「今度矢野と会うようなことがあったら、すぐにその場を離れろ。関わり合いになるな」というアドバイスを受ける

*2:今風に言えばDNQ?